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3分間スピーチ

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迎社長(♂)

もし、あの時が最後だと分かっていたら

迎社長(♂)

2021年3月に入り、気付けば3.11東日本大震災から10年が経つ。当時、私は立川青年会議所の一員として、震災の1か月後にはボランティアとして石巻市へ向かった。当時の石巻市は震災の爪痕が色濃く残っており、道路に残るヘドロや津波跡、数階建てであろう建物の屋上に船が刺さっていた光景は衝撃そのものであった。当時の映像で目に焼き付いているのは、津波が数百メートル後ろから瞬く間に迫りくる瞬間に高台の崖に必死に駆け登る人の姿。どうにか高台に登った直後、その津波に車や家が飲み込まれていった。自分だけは逃げて助かる。誰かを助けて津波に呑みこまれる。こんな葛藤と現実を現地の方々が言っていたのを思い出す。生死にかかわる苦渋の決断を瞬時に。。そのトラウマは、今を生きる上でも当時の記憶は消すに消せないはず。「もし、あの時が最後だと分かっていたら」震災から1年後の式典での朗読を私は忘れない。当時の中学生が朝家を出る前にお母さんに「うるさい。しつこい」と反発した生意気な言動が最後となってしまったという後悔のスピーチに心打たれた。復旧と復興は異なる。「復旧」とは元の状態に戻すこと「復興」とは一度衰えても再び盛んになること。被災地は果たして復興出来ているのだろうか。答えは否だろう。来年の秋には汚染水が入る貯水タンクが許容量満杯となるが、10年経つにも関わらず未だその後の対応は決まっていない。この3分間スピーチの場でもよく「当たり前は当たり前じゃ ない」と皆が心に残るスピーチをしてくれているが、まだ対岸の火事・他人事から抜け出せていないと感じる。コロナ禍が続く中、今年もすでに2ヵ月が過ぎた。年度末の3月。振り返って後悔しない為にも、今月が勝負である。